Interview #
5
2024
年
4
月
三輪勇太郎
Yutaro MIWA
サーチファンド・ジャパン
サーチャー
今回は2023年9月からサーチファンド・ジャパン(以下、当社)のサーチャーとして本格的にサーチ活動を始めた三輪さんと、当社の投資担当者として三輪さんに伴走する新實さんにお話を聞きました。
まずは、これまでのキャリアについて教えてください。
(三輪)大学時代は「日本のために貢献したい」という想いで国家公務員を目指していましたが、日本のために貢献するためには官僚以外の選択肢、つまり経営を通じて日本に貢献するという道もあるのではないかと考えなおし、結果的に、ビジネスで世界に勝とうとしている会社を中心に就職活動をした結果、最終的に三井物産に就職しました。
三井物産ではどんなお仕事をされていたんですか?
(三輪)三井物産での最初の配属は鉄鋼製品本部で、ブリキという缶詰用の鉄板を世界中に輸出する仕事でした。商社の仕事は物流と事業投資と言われますが、典型的な物流商売であり、鉄鋼メーカーさんに毎日のように通って関係を構築していきました。メーカーの方々は脈々と受け継がれてきたMade in Japanの技術に誇りを持っている厳しくも素晴らしい方々で、私自身は文系出身でしたが技術に関しても必死に勉強し、細かい技術クレームに対しても真摯に対応する等、当たり前のことを当たり前に実行することで徐々に結果が伴うようになり、それが信頼の礎になりました。
商社での経験を通じて感じたことは「土俵の真ん中で仕事をすることの重要性、つまり、ずるいことをせず人に対して誠実に対応すればきちんと結果が返ってくる」ということでした。私の在籍時は鉄鋼の市況が低迷しており厳しい商談を幾つも経験しましたが、最後は私個人を信頼頂いて歩み寄りを頂き交渉が纏まる成功体験も複数経験させて頂き、その後のキャリアの礎を築くことができました。
その後、経営コンサル企業のリヴァンプに転職されました。
(三輪)商社で5年経験を積んだところで、就活当時思っていた「経営を通じて日本に貢献する」という想いから、より経営に近いフィールドで仕事をしたいという動機で転職しました。商社時代に「缶詰」という手に取れる商品を扱っていたことから、自身の仕事を通じて最終消費者の顔が想像できる仕事の面白さに気づき、B to Cの事業についても興味を持っていました。
リヴァンプは経営コンサルではありますが、B to Cを中心に様々な顧客企業の中に入りこんで愚直にハンズオン支援をする稀有な会社です。事業課題の構造化や分析、Excel・パワポ等のハードスキルが皆無な状態でDay1からPEファンドの投資先に常駐し、正直生きた心地がしない日々を過ごしましたが、短い在籍期間ながら自分が担当した企業で課題の構造化するところから実際に現場に入っての改善活動をして現場の方々にも成果を実感してもらう、という経験ができました。
ただプロジェクト単位で会社も人間関係もリセットして成果を求められるコンサルタントの仕事に自身の適性上も限界を感じ、自分が商社で身に着けた「人との関係を構築する力」と「コンサルで培ったハードスキル」を組み合わせて活かせるフィールドがないかと考え、次のキャリアを目指しました。結果としてご縁があって株式会社ジーユー(ファーストリテイリンググループ、以下「GU」)で立上げ途中であった経営企画部門に転職することになりました。
商社・コンサルからGUではかなり業種が違う感じがしますが、GUではどんなお仕事をされたんですか?
(三輪)GUでは商社・コンサルで身に着けた武器を活かすフィールドが無限に広がっていました。SPA事業の収益確保の肝となるSCM改革を中心に、店舗の人時生産性の最大化や最後は米国出店の立上げ等、本当に幅広い分野の方々と協力し、目に見える数字の成果を上げることができました。改革の成果が数字で見えるのは本当に嬉しい、快感に近い喜びを感じるのですが、この頃になると少し違った感情が芽生えるようになりました。
ファーストリテイリンググループでは毎月柳井社長が全従業員に対してメッセージを伝える場があるのですが、柳井社長の話を聞いていたある時、強烈に「羨ましい」という感情が湧きあがった瞬間がありました。誰よりも真剣に世界一を目指し、稼ぎ、社会に還元するという柳井社長の無私の姿勢に触れて私のスイッチが入った瞬間だったと思うのですが、この時明確に「自分の為ではなく、人のために経営者になりたい、経営という手段で人を幸せにしたい」と自分の進むべき道が開けた気がします。
GUに入る前の30歳の私に何故経営者になりたいのか?と問うても、自分が経営者になりたいから、以上の答えは出てこなかったと思います。
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▼三輪勇太郎(サーチャー) 連載インタビュー
vol.1 | サーチャーを目指すまでのキャリア