Interview #
10
2025
年
2
月
ポストCXOとしてのサーチャーキャリア
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藤井健(コスメプロ代表取締役) x 大串庄一(サーチャー)
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スタートアップでのCXOキャリアを含めた多様な経験を積まれたのち、現在サーチファンド・ジャパンの専任サーチャーとしてサーチ活動中の大串庄一さんと事業承継を実現し経営者になられた藤井健さんのお二人にお話を伺いました。
お二人のスタートアップでのご経験に焦点をあて、サーチャー・経営者というキャリアにどのようにつながっていったのか、その背景に迫ります。
Vol.1 ポストCXOとしてのサーチャーキャリア① ~キャリアの歩み~
-まずはお二人の自己紹介をお願いします。
(藤井)新卒ではベンチャーキャピタルの大和企業投資に入社しました。入社後、ベンチャー企業に対する投資業務に従事する中で、ベンチャー企業の社長の熱いお話を耳にするうちに、「自分も投資側ではなく事業を動かす側に立ちたい」と思い、グローバルな視点で事業に携わることができる外資系の消費財メーカーのユニリーバへ転職しました。海外の同僚との交流の中で、低所得者層の課題を解決する商品や事業の立ち上げについて聞くことがあり、途上国ビジネスに思いをはせる瞬間がありました。そこで、当時勤めていた会社を思い切って退職し、当時はまだ途上国であったインドで起業しました。
砂漠地域で水を販売する事業を立ち上げ、現地パートナーの方と日々課題解決と商用化に向けて奔走しましたが、異文化でのビジネスの立ち上げは当初想定してたよりも非常に難しく、資金も底をつきて無念の帰国となりました。
その後、ご縁あって大手IT企業グループ企業であるソフトバンクに入社することになり、ロボット関連事業の立ち上げに従事しました。ここでは、事業推進全般を担当していましたが、医療機関や製薬会社の方とコミュニケーションを取る機会が多く、お話ししている中でヘルスケアに興味を持つようになり、その分野での仕事に携わりたいと思うようになりました。ロボット関連事業の立ち上げも目途が立ったため、その後ライフサイエンス系のスタートアップに移りCXOとして事業推進に従事することになりました。
そこでの経験は後程お話しできればと思いますが、スタートアップでやりがいを感じながら仕事をしていたときに、偶然知人から「サーチファンド」の仕組みを聞き、オーナーシップを持って経営に携われる点に魅力を感じ、サーチファンド・ジャパンのサーチャーに応募しまして、ご縁をいただいてサーチャーとなりました。約1年間のサーチ活動を通じて、化粧品のOEMメーカーである株式会社コスメプロを承継し、現在は社長として経営に携わっております。
(大串)当時マザーズに上場直後であったIT系ベンチャー企業の株式会社じげんに新卒で入社し、経営企画部に配属されました。急拡大の成長フェーズであり、社長をはじめとした経営陣の近くでM&Aを含む様々な業務に従事しました。
所属していた経営企画部はいわゆるプロフェッショナルファーム出身者の方が多く、彼らのビジネスに対する深い見識やプロフェッショナルマインドに多くの刺激を受け、より幅広い業種に関わり、かつプロフェッショナルとしてのスキルセットを磨きたいと感じ、戦略コンサルティングや事業投資を行う経営コンサルティングファームである株式会社経営共創基盤へ転職し、大企業向けの経営支援やベンチャー投資、さらには投資先のスタートアップのCXOとして経営に携わりました。
私もここでの経験は後程お話しできればと思いますが、スタートアップCXOの経験を経て、投資業にも携わりたいという思いからPEファンドであるJ-STAR株式会社へ移りまして、投資業務及び投資先である国内の中堅中小企業に対して、経営課題の解決に向けた支援を行ってまいりました。
その後、ご縁があってサーチファンド・ジャパンの専任サーチャーとして、現在サーチ活動を行っております。
-ありがとうございます。お二人の共通点はスタートアップでのCXOキャリアのご経験があることですが、スタートアップCXO時代のお仕事について具体的に教えて頂けますか?
(藤井)投資家からお声がけいただき、培養肉を扱うスタートアップにCOO兼CFOとして参画しました。研究者が立ち上げた会社で、参画当初は10人弱の若い組織でした。研究者である創業者が研究開発をリードする一方で、私はその研究成果を活かした事業化、具体的には事業計画の策定や資金調達、組織づくり等、事業推進全般を担っていました。
(大串)経営コンサルティングファーム時代に、投資先の1社であるバイオベンチャー企業にCOO兼CFOとして派遣され、創業社長とともにゼロから会社を立ち上げました。
植物活性剤の一種を作っているスタートアップで、元々理化学研究所の研究者のご自身の発見を事業化したいというご相談から始まったプロジェクトで、私の役割としては、研究開発以外のほとんど全ての業務を担当し、営業、マーケティング、原材料の調達、製造体制の整備、資金調達やその他オペレーション全般を管掌しておりました。そういった点では藤井さんと同じような立場でお仕事をしていましたね。結果として、従業員が十数名、日本全国に販売網を持つ農業資材事業に成長させることができました。
-お二人ともスタートアップらしいゼロから事業を立ち上げるフェーズでの参画だったのですね。リソースも限られる中で苦労の連続ではあったかと思いますが、当時のハードシングスについて教えてください。
(大串)本当に様々なハードシングスがあったのですが、印象に残っているのはオフィスの全焼という、想定外の事態ですかね。火災で設備や在庫が燃え、復旧作業と取引先や周辺住民の方々への謝罪に追われました。全焼した現場を目にしたときは、精神的に追い込まれましたが、自分が立ち止まれば会社は立ち行かなくなり、時間とともにキャッシュも消えていく一方ですので、現場を片付けながら「やるしかない」と奮い立ったことを覚えています。
(藤井)それはひどい災難でしたね。
私も様々な苦労がありましたが、最も記憶に残っていることは、組織崩壊の危機に直面したことです。チーム内のコミュニケーションが思うようにうまくいかず、小規模な組織全体が瓦解する状況に陥りました。この状況を打開すべく、メンバーと対話を丁寧に重ね、信頼関係を再構築し社内は安定を取り戻しました。幸いにも立て直すことができましたが、当時は精神的にかなり消耗した記憶があります。
-様々な困難をお二人は乗り越えていかれたわけですが、お二人のモチベーションの源泉となっていた「やりがい」はどこに感じられてたのでしょうか。
(藤井)苦労の連続ではありましたが、達成感を覚えたのは、チームのモメンタムを一つの方向にまとめられた瞬間です。私が参画した当初、会社には全体としての具体的な方針が十分に整理されておらず、各メンバーが異なる方向を向いているように見えました。事業の焦点が定まらず、組織としての推進力も十分とは言えない状況でした。
一方で、メンバーには「プロダクトを作りたい」という思いは共通しており、投資家・経営層・従業員の目線を合わせ、同じ方向を見て力を発揮するためのストーリーを整理することが私の役割だと考えました。そのために、改めて成し遂げたいビジョンやそこに至るロードマップを明確化して、一つ一つ達成していったことで、組織の力が同じ方向にまとまり、困難を乗り越えながら目標を達成しようとする前向きなモメンタムを醸成することができました。
(大串)私も似た経験がありまして、CXOを勤めた会社でも組織の向いてる方向がまとまっていない時期はありました。
当時はゼロからの立ち上げであったために、まずはキャッシュを獲得することや資金調達、事業のフェーズを進めることを優先しており、いわゆるMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)はおざなりになっていました。しかし、人員が増え、異なる価値観を持つメンバーがチームに加わると、軋轢が生じてしまいました。会社の向かう方向性を当事者自身が言語化し、組織の方向性を一つにすることで徐々に軋轢は解消されましたが、この際にMVVや想いの言語化は非常に重要だと学びました。
(藤井)私にとっては、短期的なマイルストーンと長期的なビジョンをどのようにロードマップに落とし込んでいくかが学びでした。時間軸やアプローチの手法についてメンバーの意思疎通が十分に取れておらず、まずは組織の方向性を定める必要があったのだと、今なら思えますね。
(大串)ご質問に戻ると、やりがいを感じた瞬間は、ある日、偶然立ち寄った農業資材販売店で、農家の方が自社製品を手に取る姿を見た時ですね。
ゼロから事業を立ち上げ、企画、製造、販売まで整えてきた製品がユーザーさんに選ばれているという実感、また、ユーザーさんの生の声が聞けた際も、報われた思いがありました。
あとは、会社のメンバーが増えていき、採用した従業員の皆様がやりがいを持って活躍されている姿を見たときですね。
-ありがとうございます。組織が一つの方向へまとまっていく実感やゼロから立ち上げた事業が形となっていったことがお二人のモチベーションとなっていたのですね。
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