Interview #
8
2024
年
9
月
ポスト商社としてのサーチャーキャリア
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大富涼(元三菱商事) x 三輪勇太郎(元三井物産)
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新卒で総合商社に入社し、それぞれたくさんの経験を積んだ後、サーチファンド・ジャパンのサーチャーとしてサーチ活動を経て社長になられた、お2人のサーチャーにお話をお伺いしました。総合商社で勤務をしたことがサーチャー・経営者というキャリアにどうつながっていったのか、その背景に迫ります。
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-お二人の自己紹介をお願いします。
(大富)大学を卒業後、三菱商事で約3年勤務し、その後、Bain&Companyを経て、サーチファンド・ジャパンのサーチャーとして、自身が社長として参画したい企業を探索しました。結果としてプライズゲーム(クレーンゲーム等)の景品をゲームセンターに卸したり、景品の企画を行う事業を営んでいたアレスカンパニーを承継し、代表取締役に就任いたしました。
アレスカンパニーがGENDAグループに参画した後は、しばらく代表取締役社長として同社の経営を担った後、現在はGENDA Europe Ltd. のCEOとして、GENDA の欧州事業責任者を務めています。
(三輪)私は大学卒業後、三井物産で約5年間勤務した後、経営コンサルであるリヴァンプを経て、ファーストリテイリンググループのGUで4年間勤務していました。その後、サーチファンド・ジャパンのサーチャーとなり、約1年間のサーチ期間を通じて、神奈川県を中心にヘアサロンを営んでいる株式会社Kを承継し、代表取締役に就任しました。
-ありがとうございます。お二人の共通点は新卒のキャリアが総合商社であることですが、お二人が新卒キャリアとして総合商社を選択された理由について教えてください。
(大富)私は学生時代から経営者になりたいと思っていたので、新卒時代のキャリアの選択としては、経営に関わるチャンスが多いことを軸として就職活動を行っており、最終的には外資系金融機関のIBDや三菱商事などの総合商社に内定を頂いていました。
ファイナンシャルなキャリアを軸に据えるのか、もう少しジェネラルに経営に携わるキャリアをファーストキャリアにするのか、悩んでいましたが、現サントリー社長の新浪さん等、三菱商事出身の経営者が脚光を浴びはじめていた背景の中で、三菱商事はプロ経営者になるための登竜門のような位置づけのように見えていました。そこで、三菱商事を最初のキャリアとして選びました。
(三輪)私の就職活動時代は、経営者になろうなんて意識は全くなかったです。もともと国家公務員志望だったのですが、就職活動中に、たまたま当時の三井物産の副社長の方とお話する機会がありました。お話を聞いてみると、総合商社は幅広い事業の中で裁量を与えられて自由に仕事ができ、かつグローバルビジネスの世界観も見せてもらえるキャリアだと教えて頂きました。
当時の自分は、現時点での自分の視座で”何か”に人生の大半を費やそう、というものがなかったし、決め切るのも違うと感じました。そこで改めて民間就活をする中で三井物産から内定をもらい、入社いたしました。ですので、よく言われる商社の「配属ガチャ」は大歓迎で入社しましたね。自分が見ている世界とは違った世界に連れてってもらえる可能性があるところに魅力を感じました。
-それぞれ志望理由が全く違ったんですね。お二人の総合商社時代のお仕事について具体的に教えて頂けますか?
(三輪)私が配属されたのは鉄鋼製品のトレーディング部門でした。高炉メーカーと海外の販売先の間に、自分が入って仲立ちをする仕事をしていました。海外の販売先から引き合いを頂いた後、高炉メーカーと話して価格などの販売条件を聞きに行き、お互いの言い分を擦り合わせながら商談を進めていく仕事でした。条件が合意された後も、商品のデリバリーから売掛金の回収まで一気通貫で行っていました。
その後、香港に二年間駐在させていただきましたが、その時は、中国国営の製鉄企業と日本の高炉メーカーのJVの拡販を支援させていただきました。製品を中国の内陸部から川で上海まで運んで、そこから、アメリカまで運んでいたのですが、かなり繊細な鉄鋼製品を扱っている会社で、製品が販売先に届くまで、赤ちゃんを扱うようなハンドリングが必要な仕事でした。
(大富)私はトレーディング部門ではなく、いわゆる事業投資部門に配属されました。1年目は、タイにある農業機械を販売する事業投資先の管理業務等を行っていました。投資先の現場から上がってくるデータを収集・分析したり、社内外ステークホルダーとの契約交渉や投資先で対応しきれないコーポレート業務などを社内のコーポレート部門と協業しながら対応したりしていました。
2年目以降は、管理を行っていたタイの投資先の業況が悪化してきたため、社内の何名かで構成されるターンアラウンドチームの一員として、タイに赴任し、何とか黒字化を目指すミッションに向けて、仕事をしていました。その投資先はディストリビューションを主に行っていた会社だったのですが、実際のユーザー(消費者)との接点がなくニーズが分からない課題感があり、直営店を作るプロジェクトを任されました。タイの現地の方と私で、文字通り二人三脚で農家を回って製品を販売したり、どうやったらスタッフの方が気持ちよく仕事を回せるようになるかを考えたり、できることは何でもしていました。広義の意味でのチームマネジメントの経験はタイで学ぶことができましたね。
-お二人ともそれぞれ、そのお仕事の中で成長実感を感じたことを教えてください。
(大富)タイでの赴任経験を通じて、ビジネスに対する解像度がグンと上がったことは最も大きかったですね。やはり日本から俯瞰的に見ていた景色と、現地現場から見える景色は全く違っていたので、そういったマクロ視点からミクロ視点を手に入れられたのは自分にとっては成長につながったように思えます。
(三輪)とある大学の教授が商社のことを評価していて、本当にそうだなと思ったことがありまして。それは、商社は「自分が抱えている商売を自分自身で一周できること」です。さっきもお話しした通り、商談を決めて終わりではなく、その後製品のデリバリーだとか、売掛金の回収だとかがあり、ビジネスが一周しているんですよね。そして一周しようとすると、必ず何か突発的な問題が起こる。この突発的な問題が起きたときに、頭が真っ白になる瞬間もあるんですよ。でも自分で何とかしなければいけないので、必死に頭を回したり手を動かしたりして、問題を捌いていく対処能力と、胆力が必要になる。ここを徹底的に鍛えられたと感じています。これは経営者となった今でも活きている瞬間がたくさんありますね。
また、商社はどんな形でも間に挟まれるビジネスなんです。トレーディングにしても、事業投資にしても、必ず板挟みにあう。そういう意味では対人コミュニケーション能力も培われたように思います。自分がこういったら相手はどう出てくるか、なんとなく想像がつくようになりました。
(大富)確かに、一見難しそうな調整の局面でもこういうコミュニケーションを取れば、パートナー企業とこんな関係性を築いて解決できるんだ、など、先輩から勉強させてもらえることも多かったですね。
-お二人のエッセンスを抽出すると、総合商社で働かれている方々は「商い」のベースをしっかり固められているように感じます。トレーディングだろうと、事業投資だろうと、「商い」に必要なスキルを培う経験をできるところが、総合商社の面白いポイントだなと感じました。
(大富)仰る通りだと思います。総合商社はいろんな事業があって何をやっているかよくわからないように見られがちですが、逆に言うと、いろんな事業から少しずつ少しずつキャッシュポイントを生み出していく、商人としての必死さがあるように感じます。ですので、「お金を稼ぐ」ためのいろんなビジネスモデルのサンプルや体験談を感じることができるのは、総合商社の面白さだと思います。
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▼ポスト商社としてのサーチャーキャリア 大富涼(元三菱商事) x 三輪勇太郎(元三井物産) 連載インタビュー